2017年 03月 29日
アレンテージョへ
リスボンの発見のモニュメントからも、この橋が見えます。
あれ?ゴールデンゲートブリッジだ!と思うほと同じ赤い橋なんですが、それもそのはず
同じ設計者による「4月25日橋」です。
ポルトガルは第二次世界大戦でも中立を保ちサラザールによる独裁政治が続いていたそうです。
植民地に依存していた政策は時代とともに行き詰まり、1974年4月25日軍部が反乱を起こし
革命は成功します。新政府が民主化を進め、マカオ以外のすべての植民地を独立させたのでした。
この橋は建造したサラザールの名がついていたのを、独立を記念して「4月25日橋」としたということです。
1974年って私は既に生まれているし(^_^;)、そうだったんだあーと今頃感心しているわけです。
テージョ川にかかるこの橋を渡ると「クリスト・レイ」が見えて来ます。
あれーーー?どっかで見たことあるなあ。。。
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにあるキリスト像のレプリカです。
対岸からのリスボンの街、あいにくの曇り空で綺麗に見えませんでした。
さよならリスボン。。
リスボンから見るとやや南東に向かいます。
バスの窓にコルクの林が見えて来ました。バスがけっこう早く走っているので写真がうまく撮れずありません。
旅行前に NHKBS関口知宏さんのポルトガル鉄道の旅で見ていたのと同じ光景が広がります。
ポルトガルのコルクは全世界の1/3の栽培面積があるそうです。樹皮は9年に一度剥ぎ取られ収穫され、採取した年の数字が
木に書かれています。剥ぎ取ったあとは赤く、私は何かヒリヒリとするような感じを受けました。
旅程の中にはこのコルクの木をそばで見られることがなく少し残念でした。
普段の生活ではワインの栓でしか見ることがありませんが、お土産にはバッグ、帽子、ポーチ、本当に沢山のコルク製のものが
あり、持ってみるととても軽いのです。
アライオロスに到着、17世紀以来絨毯の産地として知られています。
ここでは絨毯博物館の見学をしました。
機織りで下地になる生地を作り、自然の染料で染めた毛糸でクロスステッチで埋めていきます。
絨毯としては繊細なものではありませんが、素朴な絨毯です。
エヴォラへ
アレンテージョ地方の中心としてローマ時代から栄え、ルネッサンス期には大学も置かれた学芸都市でした。
エヴォラ大聖堂です。
ファサードはゴツイ感じですが、中に入ると美しいです。
ここには、1584年9月8日に天正遣欧使節(伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ)が訪れていて
当時ヨーロッパでも珍しかったパイプオルガンを弾いたとか、聴いたとか。。という話でした。
天正遣欧使節については、これもまた旅行前にタイムリーにNHKで特集があり教科書で名前しか知らなかった彼らの歴史を知ったの
でした。
これがそのパイプオルガンです。
2〜3世紀にかけてローマ人によって造られたコリント様式のディアナ神殿です。
なんと、ここにもローマが!と思いました。
この日はお天気も今ひとつ、そして何より日曜日であったため、本来賑やかな通りもほとんどの店が閉まっていました。
全体の中で一番寂しげな日でした。
この日の宿泊はヴィラヴィソーザにあるポサーダ、コンヴェント・ヴィラヴィソーザです。
ポサーダとはお城や修道院などを改築したホテルです。
この写真の右側が部屋になっています。
もう見えないくらいになった壁画や、古いアズレージョが残り、中庭にはオレンジの木が沢山ありました。
夕食の部屋は、薄暗くいつの時代にかタイプスリップしてしまったような雰囲気のあるものでした。
食事のあとに聞いたら、お祈りをする部屋だったということでした。
お部屋は色々なタイプがあったようで、私の部屋からは広いベランダに出ることができて景色が良いわけでは
ありませんが、このあたりから鳥の綺麗な鳴き声を聞くようになり毎日楽しむことができました。
その声が今まで聞いたことがなく、まるで歌っているようなのです。鶯とは違う、もっと長い歌なのです。
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milletti_naoko at 2017-04-01 06:36
元修道院の宿泊先、美しい小鳥の鳴き声、すてきな宿やお店、町、いい旅をされましたね。春になってペルージャでも、最近は以前よりずっと小鳥のさえずりが聞こえるようになってきました♪
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coimbra2017 at 2017-04-05 22:12
なおこさん、きっとヨーロッパにいる鳥なのかしら?と思います。ペルージャの鳥にも会いたいです。。
by coimbra2017
| 2017-03-29 19:01
| 旅行
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Comments(2)