ヴィラ・ヴィソーザは「樹木の茂った町」という意味で、スペインとの国境に近い町です。
    15世紀にはブラガンサ公爵が宮殿を建てて住まい、1584年には天正遣欧使節が滞在して手厚いもてなしを
    受けたそうです。
    月曜日休館のため、その宮殿は見ることができず人もほとんど見かけることもない静かな町でした。




d0357247_15511841.jpg




d0357247_15514416.jpg



    ポサーダを出発してエストレモスへ。
    エストレモスは大理石で世界的に有名だそうで、写真はうまく撮れていませんがピンク色の大理石を切りだしている所が  
    あちこちに見えます。
    エストレモスの街では、広場の周りを少し散策するだけでしたが、陶器を売る店や、野菜、ハーブを扱う店などが出ていて
    楽しかったです。
    このあと、この日はとても素敵な農園レストラン「Herdade Das Servas」で美味しい食事とワインをいただき
    海辺の街ナザレへと、田園風景の中のドライブを楽しみました。
   

[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-31 16:08 | 旅行

アレンテージョへ

    アレンテージョからエヴォラへ

    リスボンの発見のモニュメントからも、この橋が見えます。
    あれ?ゴールデンゲートブリッジだ!と思うほと同じ赤い橋なんですが、それもそのはず
    同じ設計者による「4月25日橋」です。
    ポルトガルは第二次世界大戦でも中立を保ちサラザールによる独裁政治が続いていたそうです。
    植民地に依存していた政策は時代とともに行き詰まり、1974年4月25日軍部が反乱を起こし
    革命は成功します。新政府が民主化を進め、マカオ以外のすべての植民地を独立させたのでした。
    この橋は建造したサラザールの名がついていたのを、独立を記念して「4月25日橋」としたということです。
    1974年って私は既に生まれているし(^_^;)、そうだったんだあーと今頃感心しているわけです。



d0357247_17480517.jpg

    テージョ川にかかるこの橋を渡ると「クリスト・レイ」が見えて来ます。
    あれーーー?どっかで見たことあるなあ。。。
    ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにあるキリスト像のレプリカです。
    対岸からのリスボンの街、あいにくの曇り空で綺麗に見えませんでした。
    さよならリスボン。。

d0357247_17541009.jpg



    リスボンから見るとやや南東に向かいます。
    バスの窓にコルクの林が見えて来ました。バスがけっこう早く走っているので写真がうまく撮れずありません。
    旅行前に NHKBS関口知宏さんのポルトガル鉄道の旅で見ていたのと同じ光景が広がります。
    ポルトガルのコルクは全世界の1/3の栽培面積があるそうです。樹皮は9年に一度剥ぎ取られ収穫され、採取した年の数字が
    木に書かれています。剥ぎ取ったあとは赤く、私は何かヒリヒリとするような感じを受けました。
    旅程の中にはこのコルクの木をそばで見られることがなく少し残念でした。
    普段の生活ではワインの栓でしか見ることがありませんが、お土産にはバッグ、帽子、ポーチ、本当に沢山のコルク製のものが
    あり、持ってみるととても軽いのです。


d0357247_18113224.jpg
   


     アライオロスに到着、17世紀以来絨毯の産地として知られています。
     ここでは絨毯博物館の見学をしました。



d0357247_18143987.jpg
    


    機織りで下地になる生地を作り、自然の染料で染めた毛糸でクロスステッチで埋めていきます。
    絨毯としては繊細なものではありませんが、素朴な絨毯です。



    エヴォラへ

    アレンテージョ地方の中心としてローマ時代から栄え、ルネッサンス期には大学も置かれた学芸都市でした。
    


d0357247_18265132.jpg



d0357247_18271284.jpg


    エヴォラ大聖堂です。
    ファサードはゴツイ感じですが、中に入ると美しいです。
    ここには、1584年9月8日に天正遣欧使節(伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ)が訪れていて
    当時ヨーロッパでも珍しかったパイプオルガンを弾いたとか、聴いたとか。。という話でした。
    天正遣欧使節については、これもまた旅行前にタイムリーにNHKで特集があり教科書で名前しか知らなかった彼らの歴史を知ったの
    でした。



d0357247_18273211.jpg

    これがそのパイプオルガンです。



           
d0357247_18275352.jpg



    2〜3世紀にかけてローマ人によって造られたコリント様式のディアナ神殿です。
    なんと、ここにもローマが!と思いました。
    この日はお天気も今ひとつ、そして何より日曜日であったため、本来賑やかな通りもほとんどの店が閉まっていました。
    全体の中で一番寂しげな日でした。



     
d0357247_18454667.jpg



    この日の宿泊はヴィラヴィソーザにあるポサーダ、コンヴェント・ヴィラヴィソーザです。 
    ポサーダとはお城や修道院などを改築したホテルです。
    この写真の右側が部屋になっています。
    もう見えないくらいになった壁画や、古いアズレージョが残り、中庭にはオレンジの木が沢山ありました。
    夕食の部屋は、薄暗くいつの時代にかタイプスリップしてしまったような雰囲気のあるものでした。
    食事のあとに聞いたら、お祈りをする部屋だったということでした。
    お部屋は色々なタイプがあったようで、私の部屋からは広いベランダに出ることができて景色が良いわけでは
    ありませんが、このあたりから鳥の綺麗な鳴き声を聞くようになり毎日楽しむことができました。
    その声が今まで聞いたことがなく、まるで歌っているようなのです。鶯とは違う、もっと長い歌なのです。
    
    
    

[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-29 19:01 | 旅行

リスボン4

    午前中のロカ岬、シントラの観光を終えリスボンへ戻って来ました。
    まずはサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台、リスボンの街並みが見渡せます。


d0357247_11570052.jpg



d0357247_11573043.jpg



d0357247_11580725.jpg


    このフェンスを背にしてリスボンの街が見える風景をバックに、「消臭力」のコマーシャルが撮影されたそうです。
    「しょーしゅーりきー♪」と可愛らしい少年が歌うコマーシャルはよく覚えています。
    あの時、綺麗な街だな。。どこなんだろう?と思ったものでしたが、ここ!なのでした。
    

d0357247_12050300.jpg


    展望台のすぐ脇にあるケーブルカー、グロリア線に乗り下り、アルファマ地区へ向かいます。



d0357247_12055285.jpg



   ポルトガルでは何処でもこんなふうに洗濯物が干してあります。窓から滑車のついたロープを回しながら洗濯ばさみで止めます。



d0357247_12061228.jpg



d0357247_12063405.jpg



d0357247_12065687.jpg



d0357247_12072209.jpg


    リスボンは1755年11月1日東日本大震災と同じ規模の大地震に襲われました。
    建物は倒壊し、大津波に襲われ約6万人の人々が亡くなったそうです。
    その大地震であまり被害を受けなかったのがアルファマ地区で、以前のイスラム支配の影響を残す街並みとなっています。

   

d0357247_12074546.jpg


    アウグスタ通りから勝利のアーチを抜け。。



d0357247_12081813.jpg


    大地震で破壊されたマヌエル一世の宮殿があったことから宮殿広場とも呼ばれるコルメシオ広場です。



d0357247_12083742.jpg


    焼き栗を買って食べながらロシオ広場へ戻って来ました。
    リスボンは「7つの丘の街」と言われるだけあって、とにかく坂、坂、坂。見所も沢山ありますが、きっと自分の足だけでは
    ひどい筋肉痛になること間違いなしで、ゴトゴト市電に乗りながらゆっくり見て歩きたい街でした。
    ポルトガルへ来てまずリスボンに3泊しました。ホテルはコリンシアホテル、街からは少し離れていましたが近代的で清潔感のある
    良いホテルでした。朝食はとても品数が多く、オレンジが美味しくて毎日沢山いただきました。
    それに朝からシャンペンが置いてありますし、スタッフは皆親切でした。到着したての疲れた身体にはやはり快適なホテルが
    嬉しいものです。


[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-27 12:50 | 旅行

シントラ

    シントラ
    緑に覆われた山中に、王宮を中心として豪奢な館が点在します。
    詩人バイロンが「この世のエデン」と詠った。。らしいです。
    ロカ岬では良い天気だったのに、にわかに曇り寒くなりました。
    雨が降り出しそうだったので、小さく街を一回り。



    
d0357247_11104400.jpg
 

d0357247_11112292.jpg


d0357247_11114981.jpg

    この日、シントラのレンストランで昼食となりましたが、外見からはレストランには思えなくて。
    お料理は、たっぷりの人参スープ、鴨の炊き込みご飯、大きなメロンでした。
    鴨のご飯は郷土料理だそうで、とにかく量が多く食べ切れません。
    田舎の家に来たような温かい雰囲気の店が色々な国から来た観光客でいっぱいでした。

d0357247_11121425.jpg
 

    お見苦しい写真ですが、シントラ銘菓ケイジャータです。
    日本に持って帰ってポルトガルを思い出しながら食べた最後の一個。。。
    ケイジョとはチーズを使ったお菓子のことだそうですが、チーズの味も香りもなく餃子の皮で作った入れ物に
    シナモンのきいたパウンドケーキがはいっているような感じです。
    

[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-27 11:36 | 旅行

ロカ岬 

  ロカ岬
  北緯38度47分、西経9度30分。ヨーロッパ大陸最西端の岬、高さ140mの断崖になっている。

  リスボンからロカ岬へ向かう朝、どんより曇り空。バスは高速道路から細い一般道を走る。
  次第に青空がでてきて、オレンジがなっている木、南国を感じさせる風景に海が見えてきた。
  
d0357247_09445697.jpg



d0357247_10162203.jpg

    なんて、美しい海と空。
    でも、今日もすごい強風。

d0357247_09461109.jpg



d0357247_10171324.jpg



d0357247_10174628.jpg

   海に向かって建つ十字架の石碑にカモンイスの詩の一節が刻まれている
   ここに地果て、海始まる
   「あーー、ここまで来てしまった!」来られたことに感謝して、海にお招きありがとうございますと手を合わせた。



d0357247_10303992.jpg


    岬にはお土産物屋さんが1軒あるだけ。写真を撮っている間にガイドさんが最西端到達証明書を発行してもらいに行ってくれた。
    裏には9ヶ国語でこう書かれている。
    ポルトガル国シントラにあるロカ岬に到達されたことを証明します。ここは、ヨーロッパ大陸の最西端に位置し、
    「陸尽き、海はじまる」と詠われ、新世界を求め、未知の海へとカラベラ船を繰り出した航海者たちの信仰心と
    冒険魂が、今に尚、脈打つところです。
    裏面左側に069786という番号がありました。

[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-27 10:46 | 旅行

リスボン3

ベレンの塔
d0357247_14185197.jpg


午後は逆光になり、真っ白い建物が写せませんでした。
マヌエル一世の命により1520年に完成。テージョ川を行き交う船の監視し河口を守る要塞として造られました。



発見のモニュメント
d0357247_14161432.jpg

1960年にエンリケ航海王子没後500年を記念して建てられたもの。
海へ乗り出すカラベル船の先頭にエンリケ王子、その他32人の偉人像を従えています。
反対側にバスコダガマ、マゼラン、フランシスコザビエルなどの像があります。
この日、午前中に寒冷前線が通過したのもあり、この写真を撮っている時はものすごい風が吹いていて実際体が飛ばされました。
この風があったからこそ航海へ出ていけたのです。というガイドさん。多分大陸の南西端で風が強いのでしょう。。。

[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-25 15:36

リスボン2

ジェロニモス修道院

ポルトガルを旅していて必ず登場する歴史的重要人物は。。。
バスコダガマ  ポルトガルの航海者、探検家。ポルトガル王の命令によりアフリカ希望峰を回ってインドに達する航路を発見。
エンリケ航海王子  国王ジョアン一世の三男、探検事業家、パトロンとして航海者を援助し大航海時代の幕を開けた。
カモンイス  ポルトガル史上最大の詩人。
フランシスコザビエル  バスク人。ジョアン三世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年日本にキリスト教を伝えた。

インド航路発見により、ポルトガルに香辛料貿易により巨万の富をもたらしたバスコダガマ、そしてその大航海時代の幕を開けた
エンリケ航海王子の功績を称えてマヌエル一世が建てた修道院です。
d0357247_14182710.jpg

天井が高く、柱が木が生えているように立ち、天井に枝が広がるように連なっています。
今まで見て来た大聖堂や修道院とは違った雰囲気を感じました。

d0357247_14172679.jpg


d0357247_14174456.jpg

バスコダガマは三度の大航海の末インドのコチンで亡くなり、後に遺体はポルトガルに移されこの石棺に眠っています。
この反対側にカモンイスの石棺があります。

d0357247_14180455.jpg

美しい回廊


d0357247_14011585.jpeg

大航海と一言で言うけれど、500年も昔に大勢の人を乗せトイレもない船で、星を頼りに風まかせの航海をしたわけで、どんなに劣悪な環境で
あったか。。それほどまでして海の向こうへ行こうとした昔の人の気持ちはどんなものであったのか。
飛行機の現代でも、これほど遠い国からよくぞ日本まで来てくれました!と思いました。

[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-25 15:05

リスボン1

羽田からフランクフルトまで12時間、1時間半ほどのトランジットでリスボンまで3時間、
リスボンの空港から近いホテルに到着したのは夜中の12時でした。
翌日の観光への出発はゆっくりで10時。残念ながらリスボンの朝は雨のスタートになり寒冷前線が通過するという
ことで観光の順番を変更して国立古美術館へ向かいました。
一番の見どころは南蛮屏風。ポルトガル船がインドで出港する準備と、日本に到着して迎えられている様子が描かれています。
時差ボケとガイドさんの丁寧な説明に少々疲れながら、屏風絵に描かれたポルトガル人の鼻が大きいことや衣装が派手なことなどは
日本人が初めて会った西洋人がいかに珍しかったかを表しているというような説明を覚えています。
『平らな顔族』の日本人ですから、そりゃあ驚いただろうと思います。
見学中に「爆弾?」と身をすくめるほどの音がしました。雷でした。
この美術館はポルトガルで一番のお宝を持っているので頑丈にできていますから大丈夫ですよ!とガイドさんが
安心させてくれましたが、後でまさに美術館に落雷していたのがわかったのでした。
雷のあと昼食となり午後はジェロニモス修道院へ向かいました。
写真は「発見のモニュメント」前にある、大理石でできたポルトガル船が巡った航路を示す世界地図の日本の部分です。
種子島に漂着し鉄砲伝来とされる1543年ではなく、ポルトガル船が豊後に漂着した1541年が記されています。
d0357247_16585788.jpg



[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-24 17:04

今月初めからポルトガルへ旅に出て、帰国して今日で一週間。
家に帰れば元の生活がすぐに動き出す、頭も身体も疲れていても否応なく。
旅は大好きなのに、出発日が近づくと私は気が重くなる。
友人に話したら、それは楽しみであっても異国へ行くという緊張感が意識していなくても
でてくるからと言われた。
留守番を頼む家族のこと、ペットのインコのこと。そしてあれもこれもやらなくちゃと
思っていた家の中のこと。帰ってきてからにしょう!と思って出かけたのに
帰ってきたら色々思っていたことを忘れていた。
今夜、少し元気がでてきた。この一週間旅行中に見て聞いた思い出でいっぱいになっていた
から浦島太郎のようだった。
ポルトガルへの旅は羽田空港からルフトハンザ航空でフランクフルトへ飛び、乗り継いで
リスボンまで。我が家は成田空港に近いのに長旅が余計長くなる。
写真は昨年イギリスへ行く際に撮った同じフランクフルト行きの飛行機。
これから、大好きになったポルトガルの旅を振り返ります。
d0357247_23271243.jpeg

[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-21 23:29 | 旅行

記事を書く

ブログの形だけ作ってなかなか先に進めない。
写真を載せるのはどうやるのかな?文字の大きさとか配置とか??
迷いながら迷いながら書いています。パソコン音痴の私の挑戦。
d0357247_22182422.jpg

[PR]
by coimbra2017 | 2017-03-21 22:22